伏犠と女媧のおはなしはこちら

「盤古が天地を作り、その後を継いで女媧が人を作った」という、ひと続きの物語だと思っていた方もいるかもしれません。実はこの二つ、もともとは全くの別系統、成立した時代も社会の形も違う、無関係な創世神話なのです。
あらすじ
まだ何もなかった。
天も、地も、光も、闇さえも、分かれていなかった。すべては一つの卵の中に閉じ込められていた。鶏の卵に似た、混沌という名の卵だった。
その卵の中に、盤古(ばんこ)は生まれた。
眠るように、けれど確かに息づきながら、盤古は暗闇の中で育っていった。一日のうちに九たび姿を変え、少しずつ、少しずつ、大きくなっていった。
ある時、盤古は目を覚ました。あたりは重く、息苦しいほどの闇だった。盤古は両腕を伸ばし、力の限り押し広げた。
澄んだ気は、上へ上へと昇っていった。それは天となった。
濁った気は、下へ下へと沈んでいった。それは地となった。
けれど、押し広げた手を緩めれば、天と地はまた一つに戻ろうとした。だから盤古は、そこに立ち続けた。頭で天を支え、足で地を踏みしめ、二つが再び混じり合わないように。
天が一丈高くなれば、盤古も一丈伸びた。
地が一丈深くなれば、盤古もまた一丈伸びた。
そうして一万八千年が過ぎた。
天は、これ以上ないほど高くなった。地は、これ以上ないほど深くなった。そして盤古もまた、これ以上ないほど大きくなっていた。世界は、ようやく形を得た。
長い長い年月を経て、盤古の体はゆっくりと衰えていった。役目を終えた巨人は、静かに息を引き取った。
その息は、風になった。
その声は、雷になった。
左の瞳は太陽になり、右の瞳は月になった。
流した涙は、川になって大地を巡った。
四本の手足は、東西南北に聳える山になった。
体を覆っていた脂は、海となって満ちていった。
髪の一本一本は、草木となって芽吹いた。
盤古は、消えたのではなかった。世界そのものになったのだ。
今、山を見上げるとき、それは盤古の骨。
川のせせらぎを聞くとき、それは盤古の涙。
雷が轟くとき、それは盤古の声。
盤古が喜べば空は晴れわたり、盤古が怒れば雲が空を覆うという。
天地を分かち、その身を投げ出して世界を作った巨人は、今も、あらゆるところに息づいている。
もともと女媧は、たった一人の創造神だった
女媧は、中国神話の中でも最も古い層に属する存在です。母系氏族社会の時代に生まれた伝承だと考えられており、土から人を作り、崩れた天を補うという物語は、それだけで完結していました。伏羲との兄妹・夫婦という設定すら、実は後から付け加えられたものだと考えられています。長らく女媧は、中国神話における唯一無二の創造神だったのです。
盤古が、その地位を奪っていった
一方、盤古の名が記録に現れるのは、三国時代の徐整による記述が最古です。女媧の伝承よりもずっと後発です。ところがこの盤古神話、記録に現れて以降は急速に広まり、やがて中国を代表する唯一の創世神話としての地位を確立していきます。そして先秦時代から続いていた女媧の立場を、盤古が奪う形になっていったのです。つまり、今わたしたちが「中国の創世神といえば盤古」と当たり前のように思っているそのイメージ自体、実は歴史的にはかなり後になってから形作られたものだということになります。
以下は世界各地の創世・洪水神話を一部抜粋して、文字として記録した順に並べてみたものです。
| ピラミッドテキスト | エジプト 前2350年ごろ |
| エヌマ・エリシュ | メソポタミア 前1750年ごろ |
| リグ・ヴェーダ・プルシャ | インド 前1500から1200年ごろ |
| ヘシオドス 神統記 | ギリシャ 前700年ごろ |
| ノアの洪水(創世記) | レバント 前6世紀ごろ編纂 |
| 女媧の伝承 | 中国 前4から3世紀ごろ |
| 盤古 | 中国 前3世紀ごろ(三国時代) |
| 古事記 | 日本 712年 |
| エッダ | 北欧 13世紀ごろ成文化 |
| レジェンダ・デ・ロス・ソレス | アステカ 1558年 |
| オドゥ・ドゥワ創世伝承 | ヨルバ 19世紀ごろ(植民地記録) |
世界各地の創世神話を、文字として記録された年代順に並べてみると、面白いことが見えてきます。
エジプトのピラミッド・テキスト(前2350年ごろ)を筆頭に、メソポタミアのエヌマ・エリシュ、インドのリグ・ヴェーダ、ギリシャのヘシオドス、旧約聖書のノアの洪水、そして女媧の伝承と続き、盤古(3世紀)はその後に位置します。
さらに日本の古事記、北欧のエッダ、アステカのレジェンダ・デ・ロス・ソレス、ヨルバのオドゥドゥワ創世伝承までを並べると、盤古は東アジアの中でこそ記録の遅い神話ですが、世界全体で見ればむしろ中間より少し遅いくらいの位置に収まります。
しかし、記録の新しさが必ずしも神話そのものの新しさを意味してはいません。
アステカのレジェンダ・デ・ロス・ソレスは1558年、スペイン征服後にナワトル語で書き留められた記録ですが、征服前の口伝はもっと古いはずです。
ヨルバの創世伝承にいたっては、19世紀の植民地期になって初めて文字化されました。文字を持たなかった、あるいは文字を奪われた文明ほど、記録の上では「新しい神話」に見えてしまう ― この構造的な偏りもまた、盤古神話の起源論争を考えるうえで頭に入れておきたいポイントです。
なぜ一つの物語のように見えるのか
台湾の研究者による論考では、中国の起源神話が実は層になって積み重なっていると整理されています。
まず盤古開天地によって、宇宙の物理的な形 ― 天と地の分離 ― が確立されます。次に女媧造人によって、そこに人類の起源と、身分の違いを説明する神話的な根拠が与えられます(黄土から丁寧に作られた人と、縄を泥に浸して振るって生まれた人、という話を覚えているでしょうか)。そして最後に、伏羲女媧による洪水後の再創世によって、一度崩壊した秩序が、ごく少数の生存者を通じて再び文明として立て直されます。
宇宙が生まれ、人間が生まれ、そして文明が一度滅びかけて再生する ― この三段構えの物語は、もともとバラバラに存在していた神話が、後の時代になって「秩序立った一つの叙事詩」のように並べられ、編み込まれていった結果なのです。
女媧は、消えたわけではなかった
盤古に「最初の創造神」という地位を譲り渡しながらも、女媧は「人類の母」として、そして洪水を生き延びた文明再生の始祖として、姿を変えながら神話の中に生き続けました。中国の創世神話が一人の男性神による偉業として語られがちな一方で、その物語の土台には、もっと古い時代から続く女性の創造神の存在があった ― そのことを、盤古と女媧、二つの神話を並べて読むことで初めて見えてくるのです。
出典・参考情報
伏羲女媧編・盤古編・考察記事、それぞれで使った文献をまとめます。
伏羲女媧編
- 『楚辞』天問 ― 女媧に関する最古級の言及のひとつ
- 『山海経』大荒西経 ― 女媧の記述
- 『淮南子』 ― 女媧の補天神話、および「天円地方」の宇宙観の典拠
- 漢代画像石(壁画)資料 ― 伏羲女媧の人首蛇身・交尾図の図像資料
- 吉野裕子の蛇信仰研究(注連縄・鏡餅・案山子を蛇の象徴物とする説)
盤古編
- 徐整『三五暦記』『五運暦年記』(原本散逸、後世の類書に引用) ― 盤古神話の最古の記録
- 『述異記』(梁・任昉) ― 盤古の化生神話の異伝、「呉楚間説」の記録
- 饒宗頤(1986年発表の研究) ― 盤古関連の記述を後漢末・興平元年(194年)まで遡らせる考証
考察記事(女媧・盤古の関係+世界年表)
- 中国神話における「盤古開天地→女媧造人→伏羲女媧再創世」という層構造を論じた台湾の研究論文
- 各地の一次資料:ピラミッド・テキスト、『エヌマ・エリシュ』、『リグ・ヴェーダ』、ヘシオドス『神統記』、『創世記』、『古事記』、『エッダ』、『レジェンダ・デ・ロス・ソレス』、ヨルバの口承創世伝承(植民地期記録)

